市ヶ谷ツアーに応募したら当選しました
ちょうど、猪瀬ゼミでペルソナ三島由紀夫伝を読んだこともあり、ぜひ三島由紀夫の刀傷のある東部方面総監の部屋が見たいと思い、応募しました。
ご案内の方から抽選倍率3.9倍でしたと聞いて驚いています。
12月1日、朝9:10から9:20の間に防衛省の正門前に集合し、一人ずつ受付をしました。
9:30からスタート。お姉さんは職員なのか、委託業者なのか?バスガイドのような制服を着ていました。
一緒に回った担当の方は、黄色のスタッフジャンパーを羽織っていました。自衛官の方のようでした。
土曜日なのに・・・休日出勤なのかな。大変ですね。
A棟の前を通り、記念館へ。
スリッパに履き替えて記念館に入りました。
磨き込まれた木目の内装が、歴史を感じさせました。移設に際し、床も番号を振ってその通りはめ込んでいったそう。
防衛省は、六本木から平成11年に市ヶ谷に引っ越しました。広大な高台の土地は、元々は徳川家のものだったらしいです。
そしてこの講堂は、東京裁判でも使われたとか。玉座と書かれた場所からの目線が、陛下より上にならないような配慮の設計など細やかでしたね。
陛下専用の階段も真ん中が少し盛り上がっていたり滑らないような工夫がされていました。
ただ、靴を履いていると、実はそこまではわからないとのこと。誰がこんな設計を考えるのかと案内の方に聞いたところ、職人さんが自分で考えたとのこと。すごいですね。
そしていよいよ東部方面総監のお部屋。お部屋にある隊舎の模型の説明をされていましたが、何気に刀傷の近くで説明を聞いていました。3箇所の傷。触ってはいけないそうです。見えるかな。
三島由紀夫が自決した年、万博が行われました。もう世間は三波春夫のこんにちは~という歌で浮かれてたようです。
三島は自決する年を見誤ったと猪瀬さんはおっしゃっています。命をかけたクーデターも未遂に終わり、才能を散らしてしまったこと、惜しいなあと刀傷を見ながら思いました。
ずっと生きて執筆していたら、もしかしたらノーベル文学賞を取っていたかもしれません。
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