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佐渡島庸平 WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE

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コミュニティって安心安全と自由のトレードオフなの?

私は博多の商人の町で育った。
みな、小学生の頃から家を継ぐことを前提に生きていた。
大学までは自由に選べるが、必ず帰って来いと言われている。
それがいやでいやでたまらない人たちばかりであった。
でも当時通っていた塾の先生は言う。
「お前らは、継ぐものがあるから勉強に対する気迫が全然ちがう。」
サラリーマン家庭の子は、自分で何とかするしかないから必死で勉強する。
私たちはどこか甘い、と。そうかもしれない。
博多の商家に生まれたら、そこのコミュニティで生きていく。
あのお店の子という記号がつきまとう。
悪いことはできない。
ただ、そこにいると誰かが見守っている安心感はあった。
それをうざいと思うのかどうか?
自ら進んで入ったコミュニティではないから不自由なのだと気づかされたのが、この本である。

 

親の仕事を継ぐべきか。
先日、美術館で漆塗りや木工を代々やっている松江の職人の作品を見た。
木工だと、たぶん見ただけで頭の中で設計図が浮かぶのでは?3Dがパッと浮かぶのでは?
それを才能と呼ぶのなら、その家に生まれついてその才能を生かすために継ぐのもありなのではないかとも思う。
決められた仕事はいやだと思うのは若さゆえだった。
継ぐものがあるなら継いで、自分らしさを発揮していけばよいのではないか。
そこでファンを作り、コミュニティを作って行けば、そこはいなければならないコミュニティではない。
自らが作り出した、安心安全の場であろう。

なめらかな社会

もはや検索も面倒。
レジでお金を払うという常識も疑ったほうがいい。
だからAmazongoというサービスが生まれるのか。
欲しいものをかごにいれて清算せずに出られるお店。
それをなめらかな社会と表現する筆者の言語力に感動した。
不自由な社会に自分を合わせなくてよい。
それは自由のないコミュニティにいる必要はないのと同じなのか。

新聞やテレビの優位性がなくなった

情報は一部の特権を持つ人たちが早く持つことができた。
新聞やテレビの人たちだ。
しかしネットで瞬時に情報が伝わる今、その優位性がなくなったのではないか。
私はいまだに新聞は読むが、もはや昨日のネットの情報の復習でしかない。
これ(新聞の購読)をいつまで続けるのか、自問しているところだ。
それでも新聞は、自分が知りたい情報以外のことが、目に入るので好きだ。
一時、ニュースアプリを読んでいたが、自分の興味のあるニュースばかりはいってくる怖さを感じたのだ。
これじゃ、偏るなって。

SNSによる負の心理的側面への対応の仕方

フェイスブックに上がる、日常の写真。
でも絶対日常じゃない、素敵な時間の切り抜きがそこにある。
毎日こんな外食しないでしょ。
いつも旅してるわけじゃないよね。
優秀な学校に入った子どもの入学写真。
軽い嫉妬が起こるのもわかる。
最近、投稿するのを悩むのはそこ。
みんなどうやって折り合いつけているんだろう。
いいね、と押されてもそれは義理なのかわからない。

 

私は、箕輪編集室にいるが、このコミュニティも謎だらけ。
みんなやりたいことを形にして、アメーバのようにグループが増殖していく。
そこで役割を見つけ、参加し、熱狂する。
私はまだ熱狂を見つけられていないが、それは地方にいるからとあきらめていた。
でもやれるんじゃないか?地方でも。ちょっと模索中。
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得子(なりこ)
得子(なりこ)です。このブログを運営しているワーママです。MBA取得のため、仕事をしながら国内大学院で勉強しました。MBAホルダーです。職場で戦力外扱いされてるワーママの逆襲です。私はバカじゃない(笑)。職場の誰よりも本を読み、考え、アウトプットする。2級ファイナンシャルプランナー技能士。2020年保育士資格を取得。2020年9月kindle出版しました。